五稜結人と三井寿のこと/己の主導権を握る

まえおき︰

この記事はふせったーに上げてたナビステ2の感想を含めた五稜結人の話と、同時になぜか考えてしまった三井寿についての文章を多少加筆修正したものです。

fromARGONAVISとスラムダンクの話を並行して展開しているけど、どちらかしか分からない人(どちらも分からない人)もよかったら読んでください。

ナビステ2は3月6日まで配信もあるのでよろしくね。

 

 

年明けに発表された新曲であり、今回の舞台において大きな山となった楽曲の、

「スタートライン」っていうタイトルの意味がよくやく分かった気がした。

 

那由多は、頑張ったことを褒めてほしいならジャイロにはいらない、つまり必要なのは結果である、ということをしきりに口にするけど、 

今回の「目醒めの王者と恒星のプログレス」という舞台において重要なのは、結果が出せるか以前の、頑張ったかどうか、の更に前の、「頑張ることを決められるかどうか」って部分の話なのかなあと思う 。

それってつまり、覚悟ってことなんだけど 。

 

五稜結人は父親から課される人生に違和感を抱いていても、古澤さんに背中を押されるまで、自分が何をしたらいいか分かってなかったし、好きなものがあるとしても自分がそれをしたいのか分からなかった。自分がそれをしていいとは思えなかったから 。

アニメでディスフェスのときに那由多が結人に「いつか上手くなると信じて努力を続けられなかった、自分を信じられなかったからお前はジャイロにふさわしくなかった」という趣旨のことを言う。

旧ジャイロにいたときの結人は、父親の言うことを聞いて言われたとおりに頑張るけど父親の期待する結果は出せていない、でも何をどうしたらいいのか分からない、自分が悪いのか?と燻っている中学時代の結人と同じだったんだと思う 。

違和感を感じてても、結人の側からやめるとは言えなかった。

那由多は正解を知ってて、結人には分からないから 。

那由多からしたら結人のその自我のなさ(自らの判断基準を持たない、それをもとに行動できない、行動の責任をとれない)はそりゃイライラする。

父親に支配されていた過去の那由多の姿でもあるから。

 

そういう、結人の過去のふたつの足踏みの描写が重なってて、 

じゃあ具体的にどうしたら解決できたのかという、ある意味結人のifとしてのジャイロメンバーたちのエピソードが描かれている。

なおかつその足踏みが、今のアルゴナビスの状況と重なっていく。

それで最後に航海が「迷ったままでいい、迷いながら進もう」という結論を出すのが見事だなあと思った。

 

スタートラインから足を踏み出すのに、必ずしも確信や自信は必要はなくて、ある意味、それはただの行動、行為、結果でしかない 。

成功するという確信、成功するという結果ではなくて。 

「やっている」ということ、それがプロになるってことなんじゃないかな。 

自分がそれをできるかどうかって、結局良くも悪くも、やってみないと分かんないし 。

確信がなくても、「やる」、その意志、その決断 。

それが覚悟なんじゃないかな 。

 

『ステージに立ちたいか、立ちたくないか。ふたつにひとつだ』

 

自分の意志で、運命に身を委ねること。

運命の濁流に飲まれないように、その川を泳ぐ。

 

 

ナビステを見てから何故かずっと三井のことを考えていた。

なんていうか、才能があると、ある意味そういう決意や覚悟というものを決めなくても走り出せてしまうし、やるべきことが何かも分かるし、ある程度まで走れてしまうんだよな 。

宮城が兄の背中を目指してずっと意志の力でバスケにしがみついていたのとは対象的で(宮城に限んないけどね) 、三井は誰かに背中を押されなくてもとっくに走っていたし、走るのがうまい。

自分の可能性の上限とか、勝てないやつとか、そういうものに直面しないまま、何も怖くないまま、息するみたいに簡単に、うまくできてしまう。 

息をするようにバスケットマンなので。

 

走るのはうまいのに、転び方を知らないから、転んだら簡単には立ち上がれない。走らなくちゃって思うのに、走りたいって思うのに。立てない。やっと立てても、もう一度走り出すのが怖い。だから逃げた。 

それなのに、何も怖くないみたいにバスケをしていたころの三井を見ていた人たちが、きっとそういう三井みたいになりたくて、転ぶのが怖くてもずっと走っている。 

三井は結局それから目を逸らせない。見たくないのに見てしまう。 

目を逸らせないから消そうとする。 

 

もしかしたら三井は、最初は「うまくできるから」バスケが好きだったのかもしれないのに、それなのに、バスケができないのにまだ、彼はバスケが好きなんだ。 

それはずっとバスケットをしてきたからなんだ。覚悟も決意もなくても、息をするみたいに簡単に──自由に、バスケットをやってた。バスケットをやる三井は自由なんだ。 

三井はきっと楽になりたくて逃げてた。なのに逃げれば逃げるほど苦しかった。 

三井が一番自由になれるのはバスケだから。 

膝が不安でも体力がなくても、それでも。 

 

それってすごく残酷なことだと思う。 

三井はバスケットで一番自由になれるけど、バスケットから自由になれない。バスケットボールに愛されてしまって、バスケットボールを愛してしまったから。 

未熟で幼稚な心が才能という乗り物の残酷さに振り回されて、だけどその才能と愛に根負けしたときに、彼はやっと自分自身の主導権を取り戻すことができた。もしかしたら本当の意味では初めて、自分自身の主導権を握った。 

三井はもう無敵じゃない。怖いことはたくさんある。それでもバスケをやる。怖くても。 

それが覚悟ってことなんじゃないか。 

『ステージに立ちたいか、立ちたくないか。ふたつにひとつだ』 

答えは「バスケがしたいです」だよな。

 

 

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