ツール、あるいはそれそのもの/『THE FIRST SLAM DUNK』


『THE FIRST SLAM DUNK』を観た。

走って帰った!!!!!!!!!!

スキップで劇場を出て歌舞伎町を駆け抜けて帰った。

 

いや、面白すぎ!?!?!?!?

 

スラムダンクは全然知らなくて、大人になってできたオタク友達はともかく学生時代にまわりで読んでいる人もおらず、インターネットミームになっているやつはまあ多少わかるのとキャラクターの名前を何人かは知っている程度。公開後スラムダンクが好きなフォロワーが絶賛しており、思い入れを抜きにしても映像としてすごいので見てほしいという話をされ、ちょうど出かける予定があったので観たのだが、観る前にちょっとしたことでくさくさしていた気持ちが吹っ飛ばされて「僕らの世界は捨てたもんじゃない!!!!!!」「疑問・愚問・不穏、消えた・・・・・・」になっていた(BLUE ALBUM)。

数時間の映画で出てくる人全員を好きになり、近年感じていたことがいいことも悪いことも昇華され、「この世、おもしれー……」と最高の気分でうちに帰った。

 

まずもってキャラのことを全然知らないから、最初とかまあギリこのシースルー前髪の人は顔と名前が一致するわね。あと主人公の赤い人もかろうじてわかるわね。みたいなテンションで始まり、試合が進みそれぞれのプレーを見て、合間合間に回想が入るたびに
「お前・・・・・・・そうだったのかよ!!!!!!!!」
と彼らのことを知って好きになり、三井の顔と名前が一致したときは「お前・・・・・・"""三井"""か!!!!!!(聞いたことある)」となり、なんか回想で出てきたロン毛のヤンキーが同一人物だと気づいて「お前・・・・・・・"""三井"""か!!!!!!!(そうなのお!?)」となり、もっと前の回想で出てきたさわやかな短髪を思い出して「お前・・・・・・・"""三井"""!?!?!?」となり、三井……なんなんだオメー……知りてえ、三井のこと……。


お話が進むごとにそれぞれのキャラに「こういう子なんだなあ」という理解が生まれていく過程が面白かった。原作漫画があるからこその奥行なんだろうけど、それを短い時間で過剰に説明されることなく理解していくっていうの、あんま味わうことない感覚というか、もちろん優れた映画ってそういうものだとは思うけど、だとしてもここまで大好きになるのはレアなんでね。
でもキャラクターたちが感情移入しやすい性格をしてるかっていうとそうでもないし、りょーちゃん(って呼んでいいのかすらよくわからんが)も割とわかりにくい子というか、小さいころからけっこう、なんていうかどっちかっていうと内気な感じというか、意地っ張りにも見えるけど素直さもあって、ちょっと言動が不可解ですらあって、でもその絶妙にずれている感じが実際にいる人間を見ているようでもあって。本人の認識している自分と周りから見える像の違いとか、実際人間ってめっちゃそうよね……という気持ちにもなり、そういうまだ不確定な輪郭の自我を持て余してる感じが見ていてすごく共感もするし、応援したくなるし、すごくのめり込んでしまった。
回想だけじゃなくてプレースタイルというか、そういう部分が試合が進んで明らかになっていくのとパーソナリティが明らかになっていくのが同時に進行していくから、よりキャラクターに愛着が湧きやすくて、これはもちろん長編の連載の構成としてもそうなのかもしれないが、短い時間でどんどん感情移入して、終盤はもうその愛着をもって固唾をのんで見守る、そこにいる彼らと気持ちがシンクロしていく、あのなんていうの、追いつき方というか、あのチーム、あの試合、あの瞬間に対しての気持ちが完全に追いついてくるという、自分の感情の躍動といったら……。

 

ホビーアニメが好きなんですけど、今年ヴァンガードoverDress及びwillDressを見てすごい好きだったんですけど、スラムダンクを観て帰り道にふと「スポーツって、ホビーなんだな……」ということを思って、まあカードゲームだとかそういうもんが疑似的なスポーツというのはそうなので順番が逆なのかもしれないけど、まあ自分の感覚としてはそれをスポーツの一種と言うというよりは「ホビー」という概念の中にスポーツもゲームも入るのかなっていう感覚でまあそれはいいんですけど
overDressを観たときに「人にとっての、子供たちにとってのホビー」みたいなところについて考えてて、その時思ったことがスラムダンクについて考えててふと浮かんで、ものすごい腑に落ちたというか、そう感じた理由がいくつかあって、
ある一定の側面として、そのホビーに触れる、のめり込む理由は逃避だったりとか、自分の生活・人生とは別の世界を自分の中に持つという行為でもあって、そのためのツールとしての側面があると思うんですね。過酷な環境だとか弱い自分だとか窮屈な世界だとか、そういう不自由な現実をいったん忘れて自由になる、ボールだけを、カードだけを持ったシンプルな自分になれる場所がそこにある。
でも当然その場所でも挫折がある。いつか負ける。あるいは最初から負けてるかもしれない。あるいは勝ち続けるからこその孤独や虚しさかもしれない。どこかで、この場所でも全然自由じゃないってことに気づく。
それを悔しい、苦しいと感じたときに、それじゃ嫌だ、まだここにいたいんだと感じるごとに、そのホビーは逃避のツールから、少しずつそれ自体が目的になっていく。ツールとしてでなく、それそのものを好きになっていく。
そして敗北に本気で悔しいと感じるとき、そこには他者がいる。敵でも味方でも。自分の現実から逃れた世界の中に他者が存在していく。シンプルな世界が複雑になっていく。そうしてその世界は自分が逃れてきた現実と地続きになっていく。
どうしようもなく逃げ出したいのに、もう一度やりたい、もう一度勝ちたいと立ち上がる。
どうしようもない挫折やいらだちにとらわれていても、熱中と、同じくらい熱中する他者とのふれあいで、その瞬間なぜか身軽になる。どうしようもないほどの存在の重さと、駆け出したくなるほどの衝動が、同時に湧き上がっていく。
他者のいる世界で、挫折に向き合い、悔しさを、悲しみを、自分自身に引き受ける。
そうなったときに、逃れてきた現実の方でも、不自由さを受け入れたり、立ち向かう力みたいなものをいつのまにか手にしていたりする。もちろんそこの順番は逆かもしれないしどっちが先かもわからない話でもあるんだけど。
そういう場所、世界を持つっていうことが俺たちを生かしてくれたんじゃないかっていうのを考えてて、それを今回の映画でもすごく思った。
ツールとしてでなく、いつのまにかそのホビーそのものを愛し始めること。同時に、そのホビーによっていつのまにかたくさんのものを手にしているという、ツールとしての完成。その両面がホビーってものにはあって、それをね、この映画はすげー鮮明に描いてると思った。

 

ちょっと違う話かもしれないんだけど、「ツール」と「そのもの」の話でいうと、私は表現手法としてのアニメーションが好きなんだけど、同時にアニメーションそのものが好きでもあるんだな、と思って。
普段アニメに対して文句ばっか言ってるけどやっぱり俺ってアニメってやつが好きなんだなあ……と思ってしみじみ涙が出てきたりした。なんかなあ、やっぱすばらしいもんを見たときにそれがアニメっていう手法で表現されているととてつもなくうれしいんだよな。
これってたぶん今回すごい勢いで感情移入したことにも関係があって、結局私がアニメってもんが好きだから、同じ内容を実写でやるより、絵で描かれている方が、なんか知らんがそこにいる人物たちへの興味を持ちやすいし愛着が生まれやすいんだと思う。
絵っていうだけでうれしいし、絵が動いてるってだけでうれしい。
なんかこういうこと『ロング・ウェイ・ノース』見たときも思った気がする。
好きかもしれねえな、アニメ映画ってやつ・・・・・好きだ・・・・・・

 

すごい好きだったシーンがあって、トンネルのとこなんですけど。
バイク(原付?)で猛スピードで走ってて、トンネルに入って、トンネルを抜けて、っていうシーンがあるじゃないですか。
あそこのさあ、手前の段階では真っ暗に見えていたトンネルが、トンネルの中に入ったらコントラストが変化してトンネルの中が少し見えて、でもすぐに外がめちゃめちゃ明るくて眩しくて視界が開けて景色が見えるっていう、あのシーンがすごい良くて。
なんかあの、トンネルの中がいったん少し明るく見えるっていうディティールがめちゃめちゃ好きで、そんな終盤のシーンでもないけど「俺、今のシーンがたぶん一番好きだ・・・・」って思ったんだけど最後まで見てもやっぱり一番印象に残っていた。
ああいうディティールが映画全体のリアルな感触を作っているんだと思うし、同時に、その視界の変化が彼が歩んだ道そのものを表しているようにも感じるし、お話としてもターニングポイントだから、実際彼にとっても世界が変わる瞬間の景色だったかもしれないし。
ただ暗くなって明るくなるんじゃなくて、一度トンネルの中が明るくなるから、次の瞬間もう外にいてまばゆい景色を叩きつけられるのがね、びっくりするんだよ。
なんかねえそういう……細かい部分の手触りが積み重なっているのが本当にいいんだよな。

あと梶原岳人梶原岳人よかったな・・・・
梶原岳人って本当にああいうアニメっぽくない演技で信じられないほど力を発揮すると思うんですけど冒頭の梶原岳人の芝居が映画全体の抑制されたテンションや優しくてさみしいトーンを作っていて、全体をリードしていてめちゃくちゃよかった。他の人ももちろんよかったけど、梶原岳人のあの手触りはすごいよ・・・

 

あとはまあ試合のシーンの映像としてのすごさとかもちろんあるんだけどそこはもう他の人が言ってると思うし別にそこは私が書かなくてもいいかな。つーかまああれって「理屈ではそうするべきとわかっているものを本当に実現している」っていうすごさというか。でもやろうとしたやつも成し遂げたやつもいなかっただろっていう。ていうか実現可能性は置いておいてそうすべきものだろっていうのすらわかってるのかあやしいやつが多すぎるだろっていうかこれ以上は恨み言になるのでやめますけど
しかもなんかそれが別にくどくないんだよな、ダラダラ動かしやがってっていう感じが全然なくて、試合中だからそりゃ動いてるよなあとも思うし、でも止まっているシーンとかゆったり動くシーンはちゃんと止まって見えるんだよ。ていうかそこもまあ芝居の良さなんだよ。ただ動いてりゃいいってもんじゃないんですよ。ちょっとした動きでも着てる服の布がちゃんと動いててすごいんだけどそれが悪目立ちしてないのも良かったな。
あとCGっぽさとか色味の感じとかも単体だとちょっとどうだろう?って感じなのに映像としては全然違和感がなくて、むしろ「ずっと同じ場所、同じ照明の中」っていう臨場感すら作ってて、パッと見そんなにかっこよくないんだけど、それがむしろ素人のカメラで撮ったみたいな、その場で見ているみたいな臨場感でね、良かった。これで色味とかもバチバチかっこいいとちょっとくどいのかもしれない。というかそれはそれでいいのかもしれないけどこの映画にとってはこのトーンが合っていると思う。
テンポ感もマジで自分が理想としているもので、試合中もほかのシーンもあー俺の思う「アニメ」ってこうなんだよ・・・このリズムなんだよ・・・というのが味わえて幸せすぎたね。原作買ったんでね、この感覚の人の描いた漫画読むの楽しみだな。

試合でいうと、けっこう始めの方の段階で「バスケって・・・・・HIP HOP 了解!」と心で理解したのも面白かった。いやまあバスケのこともHIP HOPのことも詳しくないしバスケというかスラムダンクが…なのかもしれないけど、スポーツとして見るとちょっとガラが悪くないですか?みたいな威圧だったり自分を誇示するような振る舞いを「なるほどそういうノリね」と理解して、最終的にその「自分を強く見せる」っていうのがちゃんと本筋に繋がってて、もうね、本当によくできてるし面白すぎるだろ……なんなんだよ……スラムダンク…………はやくもっとみんなのこと知って友達になりてー!!

あと山が何回もありつつラストに向かってどんどんボルテージが上がって最高潮に達する感じはけっこうライブを見ている感覚に近かったかもしれない!