誰が三井を生かしたか
まえおき︰
前記事のふせったーにあげてた文章の続きとして書いてたましたが、主題がズレたので記事を分けました。
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三井のことをグレたっていうのは簡単だけど、あれはつまりうつ状態だったんだと思うと、とてもじゃないが笑い話ではない。
三井が谷沢と同じ道を辿った可能性だって十分ある。
安西先生はどうして三井に何もしてあげられなかったんだろうなと思うけど、安西先生もまた、消えない過去の後悔の中に生きてる人で、他人を救う力はなくて、傷ついた大人であり、未熟な指導者だった。
だからって、って思うけど。うつ状態の子どもに適切なケアのできる大人がそうそういないのは、現実的にそうではある。待つしかないこともあるし、部活の指導者が体育館に来ない子に手出しできることがあまりないのも、仕方なくはある。
三井の家族だって、あんなことをした三井を部活に復帰させて支援できるような親はいい親だろうとか想像するのは簡単だけど、その「いい親」が、追い詰められた子どもを助けることができたか?というと、できなかったからこうなったのだし。
原作はキャラクターの家庭環境についてあまり触れないから、その制約の限界とも言えるかもしれない。
三井の家族にだって、宮城の家族のような事情や葛藤があったかもしれない。我々は知ることができないけど。
宮城にとって三井は兄の面影を感じる存在だけど、ある意味三井は宮城のifとも言える。
あるいは、リョータというチームメイトのいなかった宮城ソータ。
誕生日が同じ兄弟の、両方と似ていて、同時に似ていない。
追いかける背中がない。涙を見せて、一緒に頑張ろうと言える相手がいない。
三井の心を最後に折ったのは孤独だ。
三井は不遜で自信過剰に見えて、安西先生の言うとおり知性の男だ。三井は根拠のない自信ではなく、自分が勝利に、チームに必要だということを客観的事実として理解しているから、強固な自信を持っていたんだろう。
そんなやつがチームスポーツをやっているのが面白いところで、人の中にいるのが好きなんだと思う。
そういうあたたかさと、同時に、恐ろしいほどの冷静さ──寂しさを持っていて、その狭間にいるから、人を引きつけるし遠ざけもする。
それは一度傾いたら簡単に飲み込まれる静寂だ。
極めて優秀な自分の知性が、自分はチームに必要ないという結論を出す。
他人に言われたわけでもない。自分の出した答えからは、逃げられない。
バスケから逃げたって、不良になったって、自分自身が自分自身に価値を感じられなくなったという事実は、もう二度と消えてなくならない。
そのうち、そんなふうに感じる自分自身の"知性"にも嫌気が差す。
死にたかっただろうな、ずっと。
怪我がなければさ、別に、怪我以前にそもそもぶちあたってた壁(赤木というライバル、フィジカルの差)はさ、それなりに苦悩しながらそのうち乗り越えられてたかもしれない。怪我がなければ、喧嘩しながらいいライバルとして、そのうちチームメイトとしての信頼も芽生えて、何かあったとき、赤木や木暮の前で弱音を吐いて泣けるような、そんな関係になって、リハビリに耐えてチームに戻るんだって、あいつらは待っててくれてるって、信じられたのかもしれない。
だから、三井が一番不幸だったのはタイミングだったのかもしれない。
自分の身体の性質も、異変が起こるタイミングも、自分の意志でどうにかなるもんじゃない。
それって絶望だよな。
取り返しがつかないことが、自分の身に起こる、その重さ。
自分が自分の知る自分じゃなくなっていく恐怖。
自分が遠くなっていく恐怖。
周りが遠くなっていく恐怖。
リョータは三井とボコボコに殴り合って、事故って、母を泣かせて、兄のいた場所を辿ってようやく泣けたけれど、三井には、そんなふうに自分の孤独を受け止めてくれる秘密基地はおそらくなかったんだろう。
だから、体育館でしか泣けない。
ずっと好きだった、怖かった場所に訪れて、他人をメチャクチャに傷つけて、自分をメチャクチャに傷つけて、それで、物言わぬ安西先生の顔を見たときに、ようやく泣くことができた。
兄と違って三井は戻ってきた。リョータの視点ではそうかもしれない。
でも、三井はなぜ戻ってこれたんだろう。
三井はなんで死なずに済んだんだろう。
三井を死なせなかったものの正体はいったい何なんだろう。
それは、かつて三井に出会って、不格好でもバスケを続けていて、結果的に三井を体育館にまで引きずり出した宮城リョータだったのかもしれないし。
孤独に耐えながらずっと体育館にいた赤木だったかもしれないし、三井を忘れなかった木暮だったかもしれないし。
バスケに夢中になり始めた桜木だったかもしれないし、物理的に止めてくれた水戸なのかもしれないし。ずっと見守ってくれた徳男なのかもしれないし。
何も答えをくれなくても、いつか諦めるなと教えてくれた安西先生なのかもしれないし。
諦めたくなかった三井自身なのかも、しれないし。
それは全部三井自身の身に起こったことで。いいことも、悪いことも。
何かひとつかけ違ったら、もっと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
だから、三井が一番幸運だったのは、タイミングだったのかもしれない。
人の生き死にってやつはだいたいそうだ。
生き延びてからも大変だ。
そうなれていたはずの自分の背中が常に見える。無駄にした時間の重さが、逃げていた自分の弱さが、常に自分自身には見えていて、自分自身の極めて優秀な知性が、自分を責める。
理想の自分が見える。そうなれなかった自分の身体を引きずって生きる。
なあ、でもさ、ここにいるのは今の自分なんだよな。
逃げたのも自分だけど、戻ってきたのも自分で、今、ボールに触っているのは自分で。
そして、今の自分に対してここにいていいと、いてくれと思ってくれる仲間がいるんだ。
三井はもう孤独じゃないんだ。
三井がみっともないやつだってことを、みんなも分かってる。みんな三井の涙を知ってる。
みっともなくて、美しい。三井っていうのはそういうやつだと、三井のシュートを見て、そばにいる彼らも、観客の俺らも思う。
三井自身もだ。こんなにみっともないやつになっちまっても、投げたボールの軌道は変わらずに美しい。指先の感覚が応えてくれる、その瞬間の静寂。
自分自身の投げたボールを見て、彼は何度も、生き返る。
誰が三井を生かしたか。
それはやっぱり三井自身なんじゃないか。
いや、本当のところは分からない。
でも、きっとその自負が、これからの彼を生かす。